この世にマルクス・エンゲルス全集を売ってる男がいる もっとも、本で出来た「全集」は無くなってしまい、CD-ROM版で、つまりパソコンで読むのだが この、全集を売るべく、北は北海道から南は鹿児島まで、車で全国行脚をして、いま沖縄にいる。 沖縄では,なんと住み着いて(笑)販売している。 で、本格的に全国販売をめざして、東京へ引っ越した。途端に大月書店が販売を中止、廃版になされました(笑)二階に上がって梯子を外すとはこのことである。そこで、私めは電子書籍版マルクス・エンゲルスを作成した(定価30000円)CD-ROM版150000円の五分の一であります。 ところで、自国語に翻訳された、完全な「マルクス・エンゲルス全集」がそろっていて、それも安く手に入る国は、世界にも類例が無いと言われる。本場のロシア・ドイツ・イギリスはさておき、世界中で、日本しかないと言われている。ロシア・ドイツなどでは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とばかりマルクス・エンゲルス全集は二束三文の扱いだ(講釈師見てきたような嘘を言い?)その上、誰も読んでいない(多分)のが実情である。 日本だけ「生きた」マルクス・エンゲルス全集が普及されているのだ。その日本も時代の流れでとうとう書籍としての「全集」は無くなった。今は、CD-ROM版として活躍しているのだが(CD-ROMはなくなった)。 で、そんな中「電子書籍版マルクス・エンゲルス全集」の販売を今でも、しこしこやっているのは、私め、ただ一人であります。 という事は、ひょっとして(ひょうっとしなくても)世界中で、地球上で(えへん)ただ一人「全集」を売っているおとこですぞ。 そんな、私めを、「アナクロ」「時代遅れ」「過去の栄光」あるいは「やめたら?」とほざくお方もおられる。でも、運動あるところには、この「文献」を供給・普及すべきなのであります。なぜならば・・・・・ それは、科学というものは、あるいは科学的であることは、誰でも、いつでも、どこでも、何回でも、同じ結果・反応があることを前提とする。ことほど左様に、社会革新・革命運動が、マルクスによって「社会科学」となったからには、まさに、「科学として扱え(エンゲルス)」つまり、学習することでしか「科学」の保障はないのであります。 そのうえ、革命的情熱は、学習をもって、いっそうの確信を深め、決意と情熱の、燃焼の度合いを高めるのは自明の理であります。そして、私めが、「マルクス・エンゲルス全集」を販売普及すること自体が、「運動」がそれを必要としていることの、反映・表現でもあります。 |
石川康宏×内田樹『若者よマルクスを読もうⅡ』で、「いま、若い人たちはもうマルクスを読みません(日本だけでなく、世界中がそうです)若い人に限られない。もう誰もマルクスを読まない。僕たちはこの否定的な現実から出発しなければならないと思います」
そして、「日本はほんとうに例外的な国なのです」「マルクスの全著作どころか草稿までも翻訳されており、それについての膨大な研究書あり、かつマルクスの理想の実現を掲げる政党が国会に議席を持っている。そんな国は世界中を眺め回しても、もう日本とフランスくらいしかありません。」と、日本の特殊性を褒めています(笑) いま、自国語で気軽にマルクス・エンゲルス全集を手に入れて読むことができる国は、おそらく世界に日本しかありません。そのなかで、しつこく電子書籍版マルクス・エンゲルス全集を売っている男がいるのも、世界でただ一人であります。「誰もよまない」マルクスですが(笑)それでも、1~2ヶ月に1セットぐらいの電子書籍版「マルクス・エンゲルス全集」が売れています。これは、すごいことだと思います。 今までの、長い経験でも「ME全集」は、こちらから売り込みに行ってはじめて売れるパターンがほとんどでした。突然、向こうから「ME全集」下さい!という奇特な(笑)人はほんにまれ、でしたなあ。 でも、まだまだ、日本は信頼「笑い)できますぞ。 |